発言あり
発言あり(自由課題)
pp.385-387
発行日 1984年6月15日
Published Date 1984/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206872
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私が公衆衛生に携わるようになったのは,戦後の復興がやっとはじまりだした頃であった.大学の研究室からいきなり,保健所に勤務することになった.もちろん,大学の教授の御命令で,ある目的をもっての保健所入りであった.当時の保健所の花形業務は結核予防事業であった.立派なレントゲン撮影装置を装備し,結核菌検査の体制も完備していた.また,医師,保健婦,レントゲン技師,検査技師はくり返し行われた研修により,高度な知識と技術を修得していった.そして,保健所はこの技術力を駆使し,官民一体となって,集団検診,精密検診,患者管理に力を尽くした.このような結核予防事業の推進はめざましい成果をあげていった.
結核予防業務が主体の当時の保健所に勤務したわけであるが,保健所では,私の使命を考慮し,比較的自由のきく普及課に配属して下さった.そこで,私は人口動態統計とくに死亡統計の仕事を手伝った.
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