特集 国際保健協力
サルバタムピトの村
角田 正恵
Masae KAKUTA
pp.46-51
発行日 1982年1月15日
Published Date 1982/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206461
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ネパールとの出合いは,もう15年ほども前になります.当時,ミッションスクールの食物科の学生であった私は,寄宿舎での夕拝の時間に視た日本人医師夫妻のネパール医療協力の映画に強い感銘を受けました.(それは20年にわたる岩村昇先生のネパール医療協力の第1期の記録映画「ネパールのひげドクター」でした.夫妻の若々しさにその年月の長さが偲ばれます).いつの日か,私にもそのような活動の場が与えられないものだろうか,と自分の将来に夢を描いたことも忘れられません.一体あの感激はどのようなものなのでしょう.今でもしばしば振り返ってみます.風土,文化,生活習慣の違いといった困難さはそれが故に青年の心をより強く高く夢想へ駆り立てるもののようです.島国日本の若者には抗し難い白き峰のふもと,未知の国ネパールでした.
さて,それから7年後,私は日本キリスト教海外医療協力会(The Japan Overseas Christian Medical Cooperative Service=JOCS)よりネパール合同ミッション(United Mission to Nepal=UMN)に派遣されることになります.1973年1月のことでした.
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