特集 戦後30年の公衆衛生と私
公衆衛生指導者として山陰地方の住民と歩いた30年
村江 通之
1
1鳥取大学
pp.552-555
発行日 1977年8月15日
Published Date 1977/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205433
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■後進の山陰へ赴任--
終戦後,私は熊本医科大学の衛生学担当の助教授として赴任したのであったが,リウマチの発作の来る回数があまりにも多いので,やむを得ず請われるままに,米子医学専門学校教授として転勤した.開校3年目のこの学校は医学校とは名ばかりで,全く敗戦後の物質欠乏の影響を受けて,ほんとに何もない学校であった.
昭和22年7月17日から出勤した.校長の希望は「日本一の公衆衛生の作業の展開」であった.3日間熟考して取りあげたのが,学校保健の作業の展開であった.
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