特集 戦後30年の公衆衛生と私
"宇部方式"の生みの親として
野瀬 善勝
1
1山口大学
pp.548-549
発行日 1977年8月15日
Published Date 1977/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205431
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■はじめに--
終戦直後の国民は,極度に疲弊し,名実ともに疾病と貧困に悩まされていた.これの回復,保全は並大抵のことではなかった.日本医事界は果たしてこれに応え得る用意があったかどうか,疑問である.
(1)GHQ関係者からの批判として「日本の医学者は一般民衆の幸福を意図するよりも,自分自身の興味による科学としての医学の研究に耽ける傾向にあると言う.また,一般医家はこれと反対に,医学の進歩などに一向に無関心で,ただ自己の営利に汲々として居り,医師会の如きもただに薬品配給の業務と薬価の引上げを策する以外にほとんど何もしていない」というようなことが伝えられていた.このことは,針小棒大の言い草にしろ,若干その傾向のあったことは否めない事実であろう.
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