日本列島
沖縄県の結核概況
伊波 茂雄
pp.77
発行日 1975年2月15日
Published Date 1975/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204952
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第2次大戦後の沖縄の結核事情は極めて深刻な状況にあったので,昭和23年米国民政府と沖縄民政府は結核対策の第一歩として,沖縄北部東海岸にある金武村に100床の結核療養所を設置し,結核患者の収容治療を開始した(この結核療養所は現在450床の国立療養所となってる).また,昭和26年には保健所が設置され,結核在宅患者の治療,管理および保健所の公衆衛生看護婦(現在の保健婦)による療養指導が行なわれるようになった.昭和29年には「結核予防対策暫定要綱」が制定され,医療費の一部公費負担が行なわれた.
この制度は当時の結核対策の推進に大きな役割を果したが,不備の点もあったので,昭和31年10月に結核予防法を制定し,予防と治療に要する費用はすべて琉球政府の負担とすることになり,結核対策は本格的に進められるに至った.昭和30年には保健所に検診車を配備し,集団検診を実施するとともに,公衆衛生看護婦による在宅患者訪問指導も強化され,この保健所による結核の外来診療と保健婦(すべて県職員)による在宅療養指導の制度は,日本復帰後も存続している.最近の結核患者状況は次のとうりである.
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