わが研究所
名古屋市衛生研究所—地域実情を積み重ね方式で調査
土平 一義
pp.214-215
発行日 1973年3月15日
Published Date 1973/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204643
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沿革
昨今衛生研究所の検査調査研究の能力が認められにわかに脚光をあびてきた感があるが,この衛生行政の縁の下の力持ち的存在の研究所の歴史は当所においては意外に古いものである.すなわち当所は大正13年,当時人口67万800人であった名古屋市に衛生試験所として城東病院(現在の東市民病院)の一角に設置された.当初は細菌検査が主体であったと思われるがその後昭和9年に今市の中心地である栄町近くに移転し11年には医学試験部,理化学試験部,栄養指導部,健康指導部,産業指導部の5部制となり衛生各分野の試験,研究,指導の体制をとった.さらに戦時中の昭和19年7月には中村区に新庁舎を建設し現在の名称の衛生研究所となっている.現在の都道府県の衛生研究所が発足したのはほとんどが戦後であるが当所はその数年前に早くも研究所として発足している.さらにその時点では指導部,試験部,研究部,製造部を設け在来の試験,指導の他にワクチン製造といった戦時下の要請に答えるとともに研究部を設け研究の実をあげようとした.終戦後の昭和23年に全国各都道府県に1つの衛生研究所という厚生省の方針によりいわゆる三局長通達が出され地方衛生研究所の性格が明示された.そこで当所もそれに倣って組織を医学試験課,理化学試験課,生活衛生課と改めた.
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