発言あり
環境庁長官殿
T
,
S
,
O
,
N
,
H
pp.73-75
発行日 1972年2月15日
Published Date 1972/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204417
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人間の生活に視座を
今日,環境問題といえば,ほとんどの人がすぐに公害に想いをよせる.たしかに地球に無限の資源があるわけではなく,宇宙船経済論から見ても,汚染され破壊された地球の明日は,まさに憂うべき状況であろう.地球以外の系に移動する人類の姿は,現在のところSF以外の領域では扱われない.そうした中ての環境汚染を阻み,破壊をくいとめるには,ひろく地球科学的スコープに立った見識が必要であろう.
ところが,今日のわが国の公害論は,科学以前の段階で留まっているように思う.すなわち過去の科学の体系の中で重視されてきた,現象の発見に資本はよりすがろうとする.予測を主要な関心とする近代科学の論理は通用しない.そして公害は加害者—被害者の対応,善玉と悪玉という単純化された形で論じられる.たしかに水俣や阿賀野川,神通川などの例は,そうした観点から割り切れる内容をふくんでいる.しかしこの論理は,私害にあてはまるものであって,今日おもな関心をよせられている光化学スモッグなどにはあてはまらない.すべての生産活動に普遍的に通じる原因では,善悪の単純対応はなり立たないのである.しかも,その被害が,しばしば老幼,貧困者に集中するだけに話はよけい悲惨なことになる.
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