教室めぐり・27 東北大学衛生学教室
地域における住民の生態と健康
高橋 英次
pp.631
発行日 1971年10月15日
Published Date 1971/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204361
- 有料閲覧
- 文献概要
宮城医学専門学校が東北帝国大学の附属医学専門部になったのは明治45年で,同帝国大学医科大学に衛生学講座が設けられたのは大正6年である.初代教授に予定されていた小酒井光治博士が赴任することなく病没されたあと,しばらくは東大の横手千代之助先生の出張講義がつづいた.細菌学教室の助教授であった近藤正二先生がヨーロッパ留学のあと昭和2年に衛生学講座の教授に就任された.当初は紫外線の研究や発育・学校衛生・学校給食に関連した領域の研究が行なわれていたが,昭和15年頃から東北地方の農村に多い脳溢血の多発原因に関する実地調査が行なわれるようになった.これは戦後も継続され,近藤教授はそのため全国津々浦々に至るまで600か所以上の農山漁村を踏査された.その結論として農村の白米偏重の食習慣に最も問題のあることを指摘し,食生活の改善と健康長寿に関する旗じるしをたてられた.
昭和31年近藤教授定年退職のあとを筆者高橋が受継いだわけであるが,研究面においても高血圧・脳卒中の疫学的研究や学校保健--というよりは人類生物学的な意味での発育・栄養・体力などの研究を受継いだ.東北地方における高血圧の傾向については弘前大学在任当時から青森県・秋田県地方について手がけてきたが,さらに東北地方中南部の農村や漁村について研究をすすめた.
Copyright © 1971, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.