特集 保健所改革のポイント
保健所の基本的課題
ポイント2 公害対策と保健所—環境破壊防止のさきがけ
佐々木 忠正
1
1川崎市衛生局
pp.527-529
発行日 1971年9月15日
Published Date 1971/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204325
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過去の実績
昭和28年の頃といえば,朝鮮戦争をきっかけとした重工業復活初期の時期である.当時のエネルギー源は石炭が主で,重油は国策として制限を受けていた.したがって当時の大気汚染といえば降下煤塵,浮遊粉塵が主流であった.川崎市の大気汚染は南風が主風向の夏がシーズンであったので,夏になると火力発電,製鉄,セメントなど大手の工場を巡廻したものである.当時神奈川県に事業場公害防止条例(昭和26年)があったが,市としても機構はなかったので管轄の保健所長として本庁の衛生課長(医師)とともに廻ったのである.昭和30年8月末のある日一夜にして大師名物のイチジクの葉が穴だらけにになって落葉した事件が川崎市における公害問題のきっかけとなった.昭和33年,34年中央保健所で,降下煤塵,イオウ酸化物の被害の最も多い地区で結核住民検診に便乗して塵肺検診を,主として在宅し,その町内に10年以上居住している者を対象として行なった.岡治道博士の指導により約半数に所見があるという成績をえて10年後に追跡調査も行なった.同じ頃廃犬の剖検で大気汚染地区と非汚染地区の犬肺の粉塵沈着の調査もした.それぞれ学会および学術雑誌に発表している.
他では横浜市磯子保健所が医師会と共同で行なったBMRC方式の慢性気管支炎調査は高く評価された.また四日市保健所の「公害と闘う保健婦」(公衆衛生,第35巻第5号)のような注目すべき報告もある.
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