特集 明治百年と公衆衛生
ひと
衛生学者としての森鷗外
丸山 博
1
1阪大医学部衛生学教室
pp.41-45
発行日 1968年1月15日
Published Date 1968/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203610
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はじめに
明治33年は西歴紀元1900年。本誌は昭和43年(1968)正月号。「衛生学者としての森鷗外」などと編集者の所望に応じて小稿をしるす。「文豪森鷗外と衛生学」ではない。ここでは森鷗外を形成した核心森林太郎の一時期・23歳から38歳まで,明治17年(1884)から明治32年(1899)まで,衛生学をドイツに学び,帰朝して陸軍軍医学舎教官になり,衛生学を講じ衛生学の著述をし,陸軍軍医学校長をやめるまでの15年間に限定した。このように抽出限定した19世紀末日本の衛生学者森林太郎が本稿の主題である。
明治17年(1884)――日本国内は自由民権運動たけなわ,福島(15年),高田(16年),群馬,加波山,秩父事件(以上17年)のあとをうけ,ついに自由党解党。翌18年内閣官制ひかる。まさに絶対主義天皇制宮僚政治の確立期,軍備拡充,軍国主義日本の陸軍の命令で,陸軍二等軍医・医学士森林太郎(23歳)は,衛生学を修めるためドイツ留学の途につく。7月28日天皇に拝謁,8月23日東京出発,翌24日横浜出帆,10月7日マルセーユ入港,パリを経て10月11日ベルリン到着。
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