教室めぐり・20 徳島大・公衆衛生学教室
医学教育に抜本的国策を
福井 忠孝
pp.554
発行日 1970年9月15日
Published Date 1970/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204139
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教室の沿革
昭和29年2月徳島大学医学部に公衆衛生学教室が開設され初代の教授に私が任命された.昭和29年9月には同医学部に学位審査権が与えられ,さらに新制大学院が昭和30年に設置される運びとなった際に公衆衛生学教室の看板は一時衛生学教室と書き変えられたが,昭和32年正式に公衆衛生学講座の設置が文部省で認められるにいたり,再び公衆衛生学教室の看板をあげることになった.昭和29年教室開設とともに最初の教室員として酒井(現厚生省保健所課長補佐),本藤(現今治市本藤外科病院長)の両君が助手として入局,夏には高尾助教授が就任し,教室の陣容はようやく整った.その後助教授は現在の三好助教授にかわり,助手も研究の完成につれ幾人となくかわっている.
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