教室めぐり・18 熊本大・公衆衛生学教室
研究成果を行政に反映させる努力を
野村 茂
pp.442
発行日 1970年7月15日
Published Date 1970/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204111
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教室の沿革
明治4年,熊本にマンスフェルドを迎えて開かれた医学校からは,緒方正規,北里柴三郎のような公衆衛生の先達が育っているが,その後,熊本におけるこの領域の教育の充実したのは比較的に遅い.医専当時(明治37年〜大正14年)には緒方門下の国光勉造教授や,横手教授についた中島秀一教授らが細菌,衛生学を講じ,医大昇格(大正11年)後は,昭和16年に小栗一好教授によって衛生学講座(現在は入鹿山教授)の開講されるまで,細菌学の大田原豊一教授が衛生学講義をも担当していた.
公衆衛生学講座は昭和22年,新潟大,東大などとともにその設置が認可され,昭和24年7月,山田秀一教授によって開講された.同教授は,年来の研究課題であるウイルスおよびリケッチア症の血清学的診断に関する研究をすすめ,とくに,流行性腺熱,ブルセラ症など,熊本地方の感染症の疫学的研究を行なったが,病を得られ昭和28年退職された.後任教授には,京都大学から喜田村正次助教授が迎えられた.同教授は,農業県である熊本の新しい公衆衛生学的課題として農薬とくにパラチオン中毒の本態と予防,治療に関する研究をすすめた.また,昭和28年頃から,当時奇病とよばれた,水俣市周辺に発生した原因不明の中枢神経系疾患(水俣病)の多発していることを知って,これの疫学的調査を実施し,その原因究明のための多くの実験的研究を行なった.
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