教室めぐり・7 東京医科大学・衛生学公衆衛生学教室
進める産業中毒学的研究
赤塚 京治
pp.397
発行日 1969年7月15日
Published Date 1969/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203911
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わが校は日本医学専門学校(現日本医科大学)に淵源し,大正5年東京医学講習所,大正7年東京医学専門学校を経て,昭和22年東京医科大学となったが,その設立の経緯は世界に類例のないものとして関係者の誇としているところである.しかし,財政的な困難のためか,昭和20年12月私が公衆衛生学担任教授として就任するまでは衛生細菌学教室として細菌学と一体で,担当教授も古屋芳雄,松村䏋,竹内松次郎,四方敬一先生方が代々兼務であった.私の赴任は敗戦直後のことで,時の緒方知三郎校長は公衆衛生学の重要性を察知され,当時他医学校で衛生学と称していた学科を公衆衛生学とされ,同名の教室の誕生となった.その後,大多数の医学校で衛生学と公衆衛生学の2講座ができ,教室も分離するものが多くなり,私どもの教室名は体をあらわさぬこととなったので,昭和27年新制大学にきりかえの際,衛生学公衆衛生学教室と改称することになった.現在教室員の構成は教授1,助教授1,講師1,非常勤講師4,助手3,技手2,雇員1である.
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