先達をたずねて
日本の産業衛生学界のパイオニア 赤塚京治先生
赤塚 京治
1
,
宮沢 壽一郎
2
Keiji AKATSUKA
1
,
Juichiro MIYAZAWA
2
1東京医科大学
2東京医科大学公衆衛生学
pp.742-750
発行日 1984年10月15日
Published Date 1984/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206941
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宮沢 戦前,戦中を通して先生は航空機燃料の性能向上に使われ,猛毒だった4エチル鉛の防毒とその毒性の研究に尽力されておられましたが,国家のためと思って全力を傾注しておられたところ敗戦になって,先生は正直なところ,ガックリなさったわけですが,4エチル鉛に携わられるようになった,そもそもの発端はいつごろからですか.
赤塚 昭和5年に日本にいわゆる公衆衛生に通じた医師の養成が必要だという話が再燃してきました.その数年前,その基金はロックフェラー財団が寄付するという話があったのですが,こちら側の受入れ体制が一本にしぼれなかったため流れてしまい,その話は一応途絶えていた間にロックフェラー財団から,とってあった予算の一部で,慶応に予防医学教室が寄付されたという裏話もでました.
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