特集 明治百年と公衆衛生
労働衛生百年史
三浦 豊彦
1
1労働科学研究所
pp.23-29
発行日 1968年1月15日
Published Date 1968/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203606
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はじめての産業医局
明治政府が「富国強兵」「殖産興業」のスローガンを実現するために行なった努力は,まず軍備の充実,国内資源の開発,洋式機械工業の導入であった。このうち洋式機械工業の導入については官営の模範工場を設けて,外人技術者に技術指導にあたらせるなどの努力をはらった。こうした官営工場が明治4,5年頃からつぎつぎにできあがった。
明治政府が輸出産業として生糸に着目し,新しい洋式製糸業の導入をはかることはとうぜんであった。富岡製糸所はこうして設立されたものである。この時招聘されたのが仏人技師のポール・ブリューナであり,明治5年7月上州の富岡(現群馬県富岡市)に製糸所ができた。フランス式の機械製糸所だったわけである。そしてこの製糸所では士族の娘たちが工女として働いた,というより機械製糸の技術を伝習したわけである。この富岡製糸所については,明治6年(1873)から7年まで働いた横田英子(後の大審院長横田秀雄,鉄道大臣小松謙次郎妹),後の和田英子が,当時を思い出して明治40年(1907)に書いた"富岡日記"によって,当時のありさまを知ることができる。
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