特集 明治百年と公衆衛生
回顧
労働衛生43年
松下 正信
1
1日本産業衛生協会
pp.49-50
発行日 1968年1月15日
Published Date 1968/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203612
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出会い
大正8年東大医学部を出て衛生学教室で勉強していた大正9年3月上旬,先輩の紹介で本郷西片町に故石原修先生を訪れた。氏が農商務省嘱託として明治末期に調査した紡績女工手の問題は当時の政界産業界に一大警告を放ったものだったが,私の訪れた時は農商務技師として工場監督官兼鉱務監督官をしておられ,後阪大教授に転身された。その頃はいわゆる大正デモクラシーの時代で労働問題の叫びが全国に拡がり,その影響が各方面に,そしてわが衛生学にも及んでいた。社会医学労働衛生が注目されたのもほぼその頃である。
元来私は当時のアカデミックな衛生学には何の興味もなかった。もっと血の通った生きた衛生学を求めていた。石原博士の話をうかがっている間に,産業現場を対象にして労働人の衛生学的・生理学的探求こそわが求める道だと感じ,この道こそ一生を献げても悔なしと信ずるに至った。この一夜の会談こそわが生涯を決定したもので,すなわちこの世における出会いであった。
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