特集 地域保健活動と国民健康保険
地域活動
保健婦は訴える
医療行為に悩んだ8年間
岩間 秋江
1
1沼津保健所
pp.364-365
発行日 1967年6月15日
Published Date 1967/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203480
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私は過去8年間辺地で医療行為を行ない多くのかたがた,多方面の機関からはげましやご批判を受けた経験をもっているので,当時を思い出し,とくに現在でも辺地で行なわれているであろう保健婦の医療行為をどのようにして解消すべきかみなさまとともに考えたいと思う。
昭和27年,私は静岡県と山梨県境の1,500名の稲子部落に,助産の道具と小外科器具を背負って赴任した。天子岳に通じる川にそって16キロにわたり農家が点在しているうなぎの寝床のような部落である。私が赴任する以前はお産は取り上げばあさんの手で行なわれ,病人は衛生兵あがりの人が注射したり薬を与えてその場をしのぎ,重病人だけ戸板で部落から町までかつぎ出す。このような現状の部落に助産もできる保健婦が来たので,部落民は医師のかわりに病人のことはなんでも解決してくれるのが保健婦であると信じたのである。赴任した夜からひきつけた子どもに起こされ処置をしてほっとしたところに腹痛患者で呼ばれ,帰って来たらお産の家から迎えが待っている。これが稲子での第一歩であった。夜10時から朝の6時までは電車がないので部落民の生命は私の手にゆだねられている。お産後の出血,胃痙攣,乳幼児のひきつけ,脳溢血の発作,事故による外傷,マムシにかまれる。
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