随想 明日を担う公衆衛生
Magdaという女
山口 誠哉
1
1久留米大学医学部公衆衛生学教室
pp.414-415
発行日 1966年8月15日
Published Date 1966/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203291
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Columbia大学公衆衛生学校に,Magda(Magdalena Socolovska,現ポーランド科学アカデミー社会医学教授)が入学してきたのは,1959年クラスのFirst Quarterもすみかけた1958年の10月頃であった。ソ連やチェコスロバキアで留学の経験があったとはいえ,ポーランド人であるMagdaにとって,英語を話すことは,やはり日本人同様,相当修練を要することであったらしい。同じOccupational Health専攻仲間である私や,Dr. Udel(現メトロポリタン生保会社医務部長)などとだべっている時など,「私共スラブ民族にとって…」という場合,「Slave〔sleiv〕」と発音して,皆の目を白黒させたこともあったほどである。
当時,彼女には小学校に行っている長男と,小学校にあがる直前の小さい女の子があった。神経外科医であるご主人と遠くはなれて前後2年間もニューヨークで勉強したことは,よほどの覚悟があってのことだろう。何かの用事で,ブルックリンの彼女のアパートに電話をかけたことがあったが,その時電話に出た幼児のたどたどしい返答に,これが彼女の娘さんであるとわかりはしたものの,それから7年後にポーランドで再会し,美しく成人したその姿を眺めることができようとは思いもしなかった。
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