人籟
松香私志—払出(最終回)
長与 専斎
pp.673
発行日 1965年12月15日
Published Date 1965/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203158
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〔7〕
回顧すれば余は衛生局長の職に在ること二十有二年,今其の間の事業成績を追想するに,医学教育の事は当時学科の目さえも備はらず,各科専門の教師を外国より聘して其の課程を整理すること喫緊の急務なりき。されど外国教師の招聘は事太だ面倒にして容易に行はれず,辛うじて其の手続を了し漸く講椅の打揃ふに至り先づこれにて創始の業も完成せりと思ふが内に,早しも俊才の学士済々として輩出し,十余年を出でざるに本邦の学者中優に教授に任すべき人も備はり,今は外国の教師は僅かに内外科各一人を存するのみとなりぬ。
又衛生行政の事は明治十年以来年々歳々悪疫防禦の急に忙殺困殺せられて一時を糊塗するに止まり,国家と自治とを問はず衛生行政の機関未だ完備せりと云ふを得ず。一事一物の枝葉を就きて見るときは発達進歩の跡なきにあらざれども衛生及医務の大本に至りては一として永久の基礎を確立し得たるものなし,余が一念此に及ぶ毎に恐悼慚愧措く所を知らざるの思あり。
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