人籟
松香私志—抄出
長與 専斎
pp.305
発行日 1965年6月15日
Published Date 1965/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203056
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〔3〕
明治六年三月文部省中に医務局を置き,余は其の局長に任ぜられ医制取調を命ぜられぬ,これぞ本邦衛生事業の発端なる。其の事務皆新たに創定せらるるものにして素より旧制慣例の拠るべきなし。……飜りておもひめぐらすに我邦人文の程度にては国家公衆の観念さへ確かならぬあり様なれば国民健康の保護などいへることは上下の心に入りがたく,まして其手足となりて朝野の間に周旋すべき開業医師に至りては漢方家十の八九に居り,西洋の事物としいへば一概に忌み嫌ひ,一切の新政に対しては暗に反抗の念をさへ包蔵するものなきにあらざれば,今日に当り如何に事情を斟酌したればとて欧米に型を取りたる医制の滑かに行はるべき様なし,寧ろ習俗事情に拘はることなく真一文字に文明の制度に則りてこれを定め先づ帰着する所あるを天下に示し,而して施行の実際の如きは急がず迫らず多少の余地を与へてその成功を永遠に期することとすべし,されば先づ医学教育の規程を整備して鋭意に其実行を奨励し,医術開業試験の方法を規定して将来業に就く者の方針を明らかにし,一方には地方医務吏員の組織を設け徐ろにこれを指導して衛生行政の地をなし,諸般公衆健康保護の事項の如きは仕組の大体を定め置き利害の目前に近づくに臨みて便宜にこれを設施することとなすべしと,茲に始めて腹案を定め,やがて医制七十六条を草し文部省を経て太政官に上つり編制の趣旨を副申として進めたりけり。
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