文献
工場廃水による公用水の汚染
芦沢
pp.497
発行日 1958年9月15日
Published Date 1958/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202017
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河川汚染の性格が時代と共にすつかり変つてしまつたことが,1913年と1946-48年の境界水の汚染に関する国際合同委員会の資料の比較により明白である。1913年のオンタリオの経済は農林業及びその加工業が主体であり,汚染も専ら下水汚染(細菌汚染)が疫学上の立場から評価されていた。1946年までにヒユーロン湖,エリー湖に面する地帯の人口は1913年の3倍以上になり,産業も工業中心となつた。人口の増加に伴い,未処理ないし部分処理のままで流入する下水も増加しているわけであるが,上水浄化の進歩に因るものか,水系伝染病の発生は1913年当時と比較すると殆ど跡を断つに至つている。
一方工場廃水による伝染の増加は莫大なもので,1948年の推定によればヒユーロン・エリー両湖に注ぐ河川に流される工場廃棄物の量はイギリス(Great Britain)の全体のそれに匹敵するとされている。オンタリオには現在重工業が密集し,新工程,新製品の目まぐるしい出現は工場廃水の処理に日に日に戦を挑んでいる。これら工場廃棄物は下水汚染とちがつて伝染病の上からは意味が少い。1951年の国際合同委員会報告から引用すると,「これらの工場廃水は油,毒物,異味異臭物を含み,固体,酸,アルカリ,有機物等の所きらわぬ投棄による汚濁が主な公害の理由である」としている。
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