醫藥隨想
親の悲哀
宮川 米次
1
1東大
pp.188-191
発行日 1951年10月15日
Published Date 1951/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200941
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生きんがための戰,Kampf. ums Dazeinは,生物界の通則だ,この戰のためには,往々に相手方をいためっける結果になるのも亦自然の歸結とでもいうてよいであろうか?。數日前(26. 8. 7)の新聞には,模範巡査であった南久雄氏(45)が,遂に不良の二男久俊(19)を絞殺したときの心情を物語って居る。涙なくては到底讀まれなかった。これに對し作家の新居格氏はなぜ早く感化院の世話にならなかったかというているが,ここに割り切れない親子の情があり,親の悲哀があり,又反面には模範巡査という職業が思い切ってこれを斷行させなかったとも思う。勿論職業柄,そのようなゆき方を知らなかった筈はない,然るになんとかして眞人間にしたいと願って,自から巡査という堅苦るしい職を離れ,加うるに退職の際にうけたなけなしの金を割いて,わざわざ離れ座敷の別室迄もしっらえてやり,多くの他の兄妹の間に氣まずいおもいをさせまいとの思いやりまでしたのに,遂にはこの新設の部屋で,酒にくるい,暴れ廻って母を追う極道が,度重るに至り,昨日というきのうは,見るに見兼ねて十手で一撃,とうとう絞殺してしまったというのである。これこそ本當に可愛さあまって,にくさ百倍とでもいうべきものであろう。私はこの不幸に一生を終った久俊なるものを,醫學的にながめて見たい。それはこれに類する悲劇が,今日此の頃決して少くないからである。
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