保健所だより・4
中野保健所
pp.193
発行日 1951年3月15日
Published Date 1951/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200814
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人類は,歴史の曙以來,より良い生活を求めて,西へ移つていつたといわれる。東京でも,その中心は,西へ動いている。かつて,新市域の入口であつた中野區も,今では,日本の文化人と自負する中央沿線族—インテリ部落の玄關となつて,人口2〜3萬を數えている。この氣品をもつた南北に長い22平方粁の地域が中野保健所の舞台である。
中野驛から15分,灰色のいかめしい區役所,裁判所などの近くに,道路に面して,廣く芝生を植えこんだ前庭の奥に,薄桃色に化粧塗りした保健所がある。500坪の敷地に,240坪の建物である。岡田所長の「保健所は文化施設なのですから,明るさと文化の香りをもたせたい」想いが,ここにも,みごとにあらわれている。
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