時評
御代田村事件をあやまる
大渡 順二
pp.124
発行日 1951年2月15日
Published Date 1951/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200783
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このあいだ長野縣御代田村の小學校で學童27名が燥發的に結核にかかり既に2名の死亡者も出した事件は,机の上で議論をしたがる私たちにとつて,たしかに横ツ面をはられた思いであつた。厚生省だの,文部省だのといたいけな學童をめぐつて繩張り爭いをしているあいだに,結核菌は容赦なく學童をむしばんでいく。繩張り爭いとしても,それが熱心のあまりであつて,どちらかが仕事をやつてくれているのなら結構だが,どつちかがやるだろうというので,野球の野手選擇の眞似をされたのではたまつたものではない。御代田村の事件はまさしくこれである。いや,いまの公衆衞生に,なんとこの野手選擇が多いことか。そうしてはあとで,責任のなすりあいで胡魔化されてしまうのが落である。
戰爭にまけて,私たちは今さらながら,人の命の大事なことを覺えた。占領軍のために一匹のハエ,一匹のノミを恐れる神經を教えられ,そこから公衆衞生の考え方が實速的に私たちの肌にしみこんで來た。だが,こんどの御代田村事件などみると,それはまだまだ一部指導者または先覺の階層のあいだのことであつて,公衆衞生は未だ遠しの感じがする。現に御代田村附近の實態をきくと,同村附近は公衆衞生どころか,まだまだ文化以前の姿があるようだ。私の處の同僚の歸來談によると,御代田村といえば宿泊を斷られたり,婚約も解消となつたりしているそうである。一匹のハエを恐れる公衆衞生の氣持などクスリにしたくも見られないようである。
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