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日本腦炎のその後
北岡 正見
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1國立豫防衞生研究所
pp.188-191
発行日 1950年11月15日
Published Date 1950/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200742
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1933年日本學術振興會内に故稻田先生を委員長とする第三小委員會が設置され,日本腦炎に關する研究が始められてより,各委員の不斷の努力と,委員會に屬していない各學者の不休の研究は互に切磋琢磨し,數年を出ずして腦炎の各分野に亘り長足の進歩を遂げ,その結果當時,腦炎の研究に關する限り世界の最高峰にあると自負しても恥ぢない程であつた。而し論爭の儘に取殘されたり,或は尚解決すべき諸問題が殘された儘,不幸な第二次世界大戰が起つた。
1947年に至り,1940年以來數年間姿を現さなかつた腦炎が,先づ馬に,1948年には人と馬の兩者の間に全國的の大流行となつて現われた。そして1949年にも人と馬の間に腦炎が起つた。之等の腦炎發生を機會として,敗戰,占領下決して充分とは云えない條件の下で上述の諸問題を解決すべく再び我國の學者は立ち上つた。即ち1947年には馬腦炎に就て,家畜衞生試驗場小林(芳)場長を委員長とする研究委員會が組織せられ,また1948年には醫學界,獸醫學界の各方面の研究者を網羅した研究機關が組織され,夫々研究班が作られ豫防衞生研究所小林(六)所長が委員長となつた。
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