論述
都市環境に就て—地理學の立場より
木内 信藏
1
1東京大學理學部
pp.198-203
発行日 1948年2月25日
Published Date 1948/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200258
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
1.序
文明人が大地に定着生活を營む形式に二種類ある。一は農村形式,他は都市形式である。日本の居住樣式も亦此の對立した生活より構成されてゐるが,正しい意味の對立になつてゐない。我々の都市は工業取引等幾多高度な機能を營みながら,その基礎をなす所の都市景觀は尚未熟で田園的性格を保存し,そのために衞生能率等は遺感な點が少くない。殊に戰災を蒙つた町では麥畑の中にバラツクが立ち,その生活樣式は田園へと退化してゐる。併しそれは眞の農村生活ではないから多くの非能率が行はれてゐる。ニユーヨーク地方計畫の目的が「地域間の摩擦を與ふ限り少くする」ことにあつたと同樣な意味で,土地の地域的利用を最も能率化すること,例へば住宅地區の配置や粗密,交通の問題等が採上げられねばならない。
一體農村から成長した都市は,多くの非合理なものを含んでゐる。米國の地理學者トレワルタ教授はヨーロツパ都市は中央が狹隘で周圍ほど計畫的に寛濶にできてゐるが日本の都市は中央が街區整然として周邊が亂雜であると述べてゐる。自然的發達を遂げたのは共通であるが前者では中世の核ロンドンで言ふシテイを取卷いて逐次都市計畫が實施されたのに反し,日本では封建時代に行はれた規制を破つて,急激な膨張が起り,それを追越す計畫が實行されなかつた爲である。曲折した田園道がそのまゝ利用され,地方より多量に集中した人口は,充分な都市社會的訓練を受ける前に,膨張の波に呑まれて自分の都市の姿を見失つてしまつた。
Copyright © 1948, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.