論述
ミシガン州公衆衞生計畫—(GHQ, C. I. E. S.)特別提供
Harold Titus
,
重松
pp.151-153
発行日 1947年8月25日
Published Date 1947/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200171
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1946年7月のある暖い日の午後,ミシガン州ハイランドパークの地方衞生官から州衞生局防疫官F. S. Leeder博士に,腸チフス患者3名と容疑者數名が發生した旨電話があつた。今世紀のはじめごろは,當州も年5000名の腸チフス患者が發生していたが,牛乳及び上水檢査の改善と,豫防接種の普及によつて,患者は漸次減少し,1945年には45名の最低記録を示すに至つたのである。そこでLecder博士は,この3名の新患者は保菌者から傳染したもので,傳染源を速かに發見することによつて患者の發生を局限し得るであろうと輕く考えた。ところが,それから1時間とたたない内にデトロイト市においても4名の腸チフス患者が發生したとの電話をうけた。そこでFeeder博士は心配になつてきた,遠くはなれた2地區で患者が發生したとなると話が簡單ではないからである。
直ちに患者の感染經路が調査せられたが,その結果,犠牲者のすべてがある結婚被露宴のお客であることが判つた。それから數時間以内にLeeder博士は州内12地方にわたる210名のお客の名簿を手に入れるとともに,宴會が教會で催され,5人の婦人が調理と給仕に當つたことを知つた。あとは簡單であつた。この5人の婦人は直ちに隔離せられるとともに,檢便が行われた。お客の名前は金部その地の衞生官に通知せられ,監視をうけることになつた。檢便の結果,教會の5人の婦人のうち1人が保菌者であることが判明した。
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