論説
豫防醫學管見
小島 三郎
pp.201-205
発行日 1946年12月25日
Published Date 1946/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200075
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治療より豫防へ:
大正の中頃,筆者のまだ年少氣鋭の時,東京朝日新聞の學藝欄に『治療より豫防へ』の題下で3日連載で,謂ふ所の公衆衞生に關し,強く國民に訴へた事がある。日刊紙にはよくある例とて,筆者も江湖の先覺者(良く云へばさうであり,又た觀方によれば閑人或は物數奇人)から激勵の多くと,椰揄の少こしとから成る書面を戴いた。筆者はこの『讀者の聲』を國内有識層の願望と解して,一層豫防醫學に精進するの決意を強くした。戰災で全燒して寄稿の内容を確める途がない今日でも,あの文章の全部を,改めて世に訴へても,もはや陳奮だと嗤はれる筈がないと信ずる程に,我國の公衆衞生の進歩は遲々たるものであつた。遲々たるものではあるが,今更ら公衆衞生の任務などを述べたてる時代ではない。どんな事柄が豫防醫學であるか,どんな事をなすべきかを論議する時ではない。何をなすべかりしか,どんな施策を怠つてゐたかを檢討すべき筈であらう。
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