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あとがき・次号予告
高鳥毛 敏雄
pp.1012
発行日 2012年12月15日
Published Date 2012/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102627
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わが国では茨城県は日本で初めて原子炉の火がともったところであり,またJCOの臨界事故を経験し,さらに原発の近い距離に県庁が存在しています.原子力災害と公衆衛生の関係を最も考えている県ではないかと思っています.その隣の福島県で,わが国初の原発事故が起こりました.
私が南相馬市に何回も足繁く通うことになった理由は,阪神・淡路大震災(1995年)を契機に全国の自治体から被災者の健康支援を行う派遣・応援態勢が確立されていたはずなのに,東日本大震災(2011年)の後,原発災害のあった30km圏内には公的な保健師等の派遣が全くなされない事態になっていることが報道され,気がかりになっていたからです.昨年5月に,ようやくボランティア保健師とともに現地に入ることができました.そこに入らないと実感できない雰囲気が存在していました.1万人を超える人々が住み続け,子どもの姿がない,医療など国民に対して保証されるべき,基本的な住民サービスが提供されていないことは衝撃でした.4月から長崎大学の医療チームの派遣がありミニマムな医療支援が行われ始めていましたが,経済発展一辺倒で,人を守ることが常に後回しにされてきた日本社会の有り様を実感させられました.
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