特別記事
[対談]社会的排除と自殺
本橋 豊
1
,
近藤 克則
2
1秋田大学大学院医学系研究科公衆衛生学講座
2日本福祉大学健康社会研究センター
pp.400-406
発行日 2010年5月15日
Published Date 2010/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401101802
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本橋 私が公衆衛生の領域に入ったのは1980年代の前半で,当時は疫学的にリスクを明らかにして,脳卒中,心筋梗塞,循環器系疾患の予防を行うというハイリスクアプローチが多かった.私自身は,公衆衛生学は社会的要因が健康にどう影響を及ぼすかということを明らかにする学問であるから,社会的な側面と健康との関係を重視する方向があってもいいと考えていました.90年代に入って,公衆衛生の関心はハイリスクアプローチからポピュレーションアプローチに移ってきました.この背景には1986年のオタワ憲章,ヘルスプロモーションの流れがあったと思います.90年代後半から経済金融危機が日本を襲って,社会変動が大きくなって失業者が増え,終身雇用制が崩れて,非正規雇用が増大する中,1998年に日本全体の自殺者数が3万人を超えるという非常事態に至った.ここから,自殺が社会的な問題として取り上げられてきたという経緯があります.
私自身は1987年から自殺に関する論文を書いているのですが,デュルケムの『自殺論』や他の自殺関係の論文を読む中で,うつや自殺の問題は社会的要因と密接に結びついたテーマだと確信し,自殺研究,自殺対策研究に入り込みました.その後,自殺率日本一だった秋田県で10年ほど自殺対策にかかわり,現在は社会的排除の要因を見ながら,自殺対策を公衆衛生の中でやっているという立ち位置にいます.
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