特別寄稿
米国における鍼灸師とパブリックヘルス(上)
中野 佐智子
pp.929-933
発行日 2007年11月15日
Published Date 2007/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401101189
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パブリックヘルスに入ったきっかけ
1995年にアメリカの鍼灸学校を卒業して鍼灸資格を取得し,今年で13年目に入ります.私の卒業した鍼灸学校は,ワシントン州シアトル市にあるNorthwest Institute of Acupuncture and Oriental Medicine(以下,NIAOM)です.当時の学長夫妻はアフリカやインドで長年の生活経験があり,そのことが反映していたのかもしれません.この学校のスチューデント・クリニック(学生が患者に鍼灸を行うクリニック)は低額であり,スライディング・スケール(収入により治療費が異なる)もあり,それでも治療費が払えない患者には学校内の植物の世話仕事と治療の交換を提供していました.非常に一般庶民に親しみがあり,治療の必要な人には「ノー」とは言わない,コミュニティを大切にする学校でした.
私がこの鍼灸学校にちょうど入学する頃,11歳の男の子に出会いました.彼は8歳の時に父親を病気で亡くし,その後は母親と義理弟と3人で暮らしていました.しかし母親はコカイン常習者で罪を犯し,2年ほど刑務所に行くことになりました.楽しい少年期を奪われ,それにまつわる問題を抱えながら毎日生活をする彼の姿は,私に衝撃を与えました.残念ながらこの子のような話は,アメリカでは稀ではないのです.私が鍼灸学校2年生の時,鍼灸学生の友人から薬物依存症の治療を主に行っている団体のことを知らされました.その時,私もその団体に入り治療法を身につけることにより,鍼灸師として多くの人を救うことができる,その道に行きたいと希望と喜びに満ちたことは,今でもはっきり覚えています.
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