連載 公衆衛生ドキュメント―「生きる」とは何か・21
―水俣病から50年③―毒魚を食べずして冒された胎児性水俣病
桑原 史成
pp.946
発行日 2005年12月1日
Published Date 2005/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100206
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1枚の写真の存在が広く「水俣病」を世界の人々に知らしめた.その名作は,有名な写真家ユージン・スミスによって1971年に水俣で撮られた.それは母親に抱かれた入浴時の上村智子さんである(後にこの作品が写真を写された側の家族の意向を知った著作権者・アイリーン・スミスさんにより,「写された側の人権を尊重したい,写真を夫妻にお返しする」という決断がなされ,発表の場は縮小したが).
その智子さんの幼少時の家族(父母と妹たち)を1960年に水俣の漁村・坪谷の丘の家で撮影する機会があった(掲載写真).私が水俣病の取材を開始した直後に知り合い,智子さんが成人の日を迎えた1977年1月15日の記録まで,私はしばしば上村家を訪れていた.
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