巻頭言
生きづらさを生きるために
織田 靖史
1
1県立広島大学保健福祉学部保健福祉学科作業療法学コース
pp.967
発行日 2025年10月10日
Published Date 2025/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.038698220530100967
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個人の抱える「生きづらさ」は,社会の問題である.
個人的な話だが,昨年5月に私は脳梗塞を発症し,そのなかで多くの「生きづらさ」を感じた.しかし,そのたびに誰かが助けてくれた.家族,救急隊員,医師,看護師,放射線技師,看護助手,理学療法士,作業療法士,言語聴覚士,管理栄養士,社会福祉士,事務職員,清掃職員,入院患者,上司,同僚,職場職員,学生,附属診療所のクライエント,勉強会仲間,近所の方,友人,知人,名前も知らない人,さまざまな人のお世話になっている.おかげさまでほぼ回復し,今こうして原稿も作成できている.ふと思う——今回の「生きづらさ」は,身体の回復が進んで解消されたのか.今でも,負荷がかかり過ぎないよう仕事量の調整を職場に配慮してもらっているし,夜の会議も極力減らしてもらっている.早い就寝にも協力してもらっている.そうして,私を認めてくれる寛容な(優しい)人々のおかげで,私は職場復帰している.これには感謝しかないが,それが誰かの負担(犠牲)の上に成り立っているのかもしれないと思うと心苦しい.私が職場復帰した日,「ご迷惑をおかけしました」と挨拶したときに,ある方から「ご迷惑なんて言っちゃいけないんだよ」と教えてもらった.確かにそうだ.何かができない人は迷惑なのか? 誰の何の助けも受けていない人なんているのか? そもそも「生きづらさ」を感じるのは,本人の責任なのか? リハビリテーションの目標は,その人の変化(行動変容)になることは多いが,その人が変わらないといけないだけなのか?
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