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はじめに
個人的な話から始めよう。
私は数十年前、とある病棟で繰り返し同じ光景を目にした。カンファレンスで、実習指導者が学生にあまりに厳しい言葉を浴びせる。周囲の教員も、学生も、黙っている。誰も何も言わない。あの時、なぜ誰も動かなかったのか。私自身も含めて。
それから時代は変わった。あからさまな叱責を公然と目にする機会は減り、ハラスメントという言葉が普及し、相談窓口が整備された。だから、この原稿は必要ないかもしれない。
—そう思ったなら、それこそがあなたがこの特集を読まなければならない理由である。
問題は消えたのではない。潜ったのだ。あからさまな暴言が消えた分、曖昧な評価、微妙なトーン、見て見ぬふりとして、より深く組織に溶け込んでいる。そして、その場に居合わせながら、何もしなかったという経験は、あなたにもあるはずだ。
本稿が問うのは、加害者でも被害者でもない。その場にいた私たち全員のことである。
看護教育の現場において、アカデミック・ハラスメントやインシビリティ(礼節を欠いた言動・態度)が発生した際、その場に居合わせながらも何ら行動を起こさない「傍観者」の存在は、問題の慢性化と組織文化の固定化に深く関与している。本稿における「傍観者」とは、ハラスメントやインシビリティの場面に居合わせながら、被害者でも加害者でもない立場に置かれた全ての者を指す。同席する学生、臨床指導者、教員、同僚スタッフなど、その場に存在しながら行動しなかった者は全て傍観者となり得る。傍観者は固定した役割ではなく、状況と関係性によって誰もが担い得る立場である。
被害学生は「自分が悪いのではないか」と自責しつつも、実習評価・単位認定・国家試験受験資格という重層的な圧力の下で沈黙を強いられやすい1)。加害者の行為が「指導のため」として正当化される環境では、周囲の学生や臨床スタッフもまた「関われば自分の評価に影響するかもしれない」と判断し、沈黙を選ぶ。
この沈黙は、個人の道徳的欠陥ではない。それは、看護教育に固有の権力構造と組織文化が生み出す、予測可能な心理的・社会的帰結なのだ。
傍観者問題は近年、被害者支援や加害者対応と並ぶハラスメント対策の第3の柱として注目されている。Butlerら2)は、看護教育におけるインシビリティが学生・教員・教育環境を含む複数の要素が関与する多面的な問題であることを示している。こうした環境では、不適切な行為が「通常の指導」として受け止められ、正規化される危険がある。傍観者が介入しないことは、加害行為を黙認するシグナルとして機能し、「これくらいは普通の指導だ」という認識を組織全体で再生産し得る。この悪循環を断ち切るには、傍観者がなぜ沈黙するのかを、心理学的・社会学的な視点から体系的に解明する必要がある。
本稿では、看護教育場面における傍観者の沈黙を規定する要因を、Bronfenbrenner3)の生態学的システム論に示される、個人の行動が直接的な対人関係からより広い制度的・文化的環境に至る多層的文脈の中で形成されるという視点を援用して検討する。具体的には、分析上の枠組みとして、①個人の認知・感情・判断に関わる個人内要因、②学生・教員・実習指導者・同僚との相互作用に関わる対人・集団要因、③教育制度・組織文化・権力構造に関わる制度・組織要因、の3層に整理する。次いで、こうした規定因に対して実践的な介入がいかに可能かを示唆し、「傍観者が安全に小さな行動を起こせる文化」の形成に向けた展望を示す。具体的な介入方法・実践プログラムの設計については、続稿「傍観者から行動者へ」(p.556)で論じる。

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