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はじめに
本特集は,死別に伴う「悲嘆(grief)」をめぐってさまざまな角度からの考察を集めるという趣旨で編まれている。本稿はそのなかで精神分析的な立ち位置を取ることになる。
精神分析の概念においては,悲嘆は「喪(mourning)」という大項目のなかの一要素という位置付けである。そもそもFreud(1917)が,愛着や依存の対象の喪失(object loss)を体験した際に起こる正常な心的過程を喪/悲哀(mourning)と呼び,その過程での心的作業を喪の仕事(mourning work)としてまとめたところに端緒がある。つまり,喪についてはメカニズムとプロセスがおもに考察されている。これに対し,悲嘆については,のちにBowlby(1961)が喪という心理過程で体験する心的な苦痛や悲しみの感情と定義した。その後も精神分析は喪失に際して喪を見据えることをもっぱらとしてきたといえる。本稿でもその視野をもって進める。
対象喪失は精神分析における大項目中の大項目であり,喪の仕事の何らかの滞りがさまざまな病理的な状態を作り出すことをめぐって膨大な論考が積まれてきている。それを念頭に置いて,本稿では自殺を一つの焦点にしようと思う。自殺に関する精神分析的な文献の多くは,Freud(1917)の「喪とメランコリー」を基本論文として参照している。というのはそこに,喪の仕事の病理としてのメランコリーにおいて,取り入れて同一化した失われた対象への攻撃が結局自らに向けられることになる,という自殺に関連するメカニズムが示されているからである。つまり自殺の考察は喪の仕事の頓挫という視点が原点になっているということだ。
本稿では,喪の過程について概説し,死別における喪の仕事の困難の病理的表れの一つとしての自殺について触れ,さらに症例を通して明らかになるその実態を現代的な自殺論を交えて述べようと思う。

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