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はじめに
妊娠と出産は,古来から繰り返し幅広い層の人たちが経験し見聞きしてきた,普遍的な現象である。けれども,その現象はあまりにも当然のこととして私たちの前にあるがゆえに,その心理的意義を把握することはかえって難しいのではないだろうか。
たとえば一般に妊娠・出産は,「おめでたい」ものであるというヴェールに包まれている。実際,妊娠には,望まれる妊娠もあれば望まれない妊娠もあることは,私たちがよく知るところであるし,また望まれた妊娠であったとしてもそこにはリスクがつきものであり,出産に至るまでの障害やトラブル,子ども(胎児・新生児)の健康状態にまつわる困難は,否定できない可能性として常にある。
統計的にも,全妊産婦の実に54.8%つまり半分以上が,早産・切迫早産・胎児発育不全・妊娠高血圧症候群・前置胎盤などの産科合併症を経験しており(中井,2019),世界では2分に一人の割合で妊産婦が死亡しているといわれる(日本WHO協会,2023)。日本の妊産婦死亡率は10万出生中3.6人と世界平均に比べると極めて低いものの,それでも現代においてさえ妊娠・出産は,最悪の場合,女性個人の生命を奪うものになりうる(厚生労働省,2021)。
けれども日常的な社交の場面では,私たちはそうした不安を喚起する側面については口をつぐみ,「おめでたい」側面だけを取り扱う。それが礼儀であり,社交の暗黙のルールともされている。お産にまつわる不安は否認され,人々の意識からも追い払われてゆく。
産婦人科医は安全なお産を当たり前のものとして期待され,頻度は減少したものの決して完全には撲滅できない周産期のトラブルは,「あってはならないこと」,ときには「ありえないこと」とされがちである。
個人開業の産婦人科は入院環境のアメニティを競うなど出産はイベント化し,一般の利用者には出産の場の選択条件として,必ずしも安全確保の必要性が十分に実感されているとはいいがたい。一方水面下に押し込まれた強い不安は,お産にまつわるスピリチュアルな言説やコンテンツの形をとって現れ,現代日本においても一つの市場を形成しているという指摘もある(橋迫,2021)。こうした現象はその基底に,強い不安と,それに対応した強い否認が動いていることを推察させる。
産科医療を題材として大ベストセラーとなった漫画『コウノドリ』のモデルとしても知られる産婦人科医の荻田和秀先生(2015)は,パートナーの妊娠・出産を経験しつつある一般男性に向けた新書本の中で,「妊婦さんも赤ちゃんもリスクを背負っています。ダンナもリスクを分担する周産期医療スタッフの一員であると,自負してください」(p141)と述べて,妊娠・出産が今でも一定のリスクをはらんだイベントであることや,正しい知識によって回避できる危険は回避してほしいことを伝えておられる。
日本の周産期精神医学の第一人者として知られる吉田敬子先生(2024)は,周産期医療のプロであっても「新たな命の誕生はおめでたいはずと思い込み」(p34),妊産婦本人のこころに秘められている気持ちに気づけないことがあると述べ,みずからの経験を虚心に振り返りつつ,注意を促しておられる。お産にはもちろん新しい生命を迎える喜びがあるが,公に語られやすいその喜びの水面下には,当事者たちのコントロールを超えて時々刻々と進んでゆくプロセスに対する,とまどいや不安が渦巻いている。

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