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I 誰にも言えないまま大人になった
1 支援はずっと来なかった
支援なんて,ずっと来ませんでした。
母が死んだのは私が8歳の12月。ビルの4階から飛び降りて亡くなりました。その年のうちに父からの性虐待が本格的に始まりました。そこから支援に乗れるようになるまで,30年近くかかりました。その間はず~っと,クラゲのように透明な感じで,意識朦朧になりながら漂流して生きていました。
その約30年の間,私がしてきたことを専門家の言葉で並べれば,こんな感じになります。盗み,万引き,暴力,売春,薬物依存,受刑……。どれも「問題行動」と呼ばれてきました。支援者はそこに「問題」を見るからです。でも私には,それぞれにちゃんと理由があります。その理由を,ここに書いておきたいと思います。
子どもの頃の私は,誰か話を聞いてくれる人が一人いれば安心して納得してやっと死ねる,と思うことで心を救っていました。「誰にも知られないまま死にきれないから生きていた」「妹を父の手元に置いて私が死ぬわけにいかないから生きていた」。「助けを求めていた」のではありません。ただ,死ねない理由を抱えながら,生きていました。
助けを求めることと,自分の秘密が暴かれることは,私のなかでは地続きでした。言えば何かが大きく壊れる。言えば父に何をされるかわからない。家族全員,縄に縛られ,バラバラに連れ去られ,檻に閉じ込められるかもしれない。「何でも話してね」という大人の言葉が,かえって怖く遠くなりました。「話してね」の後の生きられる保証がない。ニュースになる内容だと幼いながらわかっていました。当時のこの全てが壊れるような恐怖は,逮捕される怖さにも近いものでした。それよりも,ただそこにいて,見ていてくれる大人が一人いれば,何かが違ったのかもしれません。

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