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I 勉強の近代とそのゆくえ
勉強とは,近代日本のメリトクラシー(業績主義)を支えるシステムとしての試験に関わって,これに対処するために発明されたである―そう言い切るのはいささか乱暴か。しかし,勉強の歴史社会学の古典『立志・苦学・出世―受験生の社会史』(竹内,2015)を読み直すにつけ,少なくとも勉強と試験の分かち難さは否定すべくもない。
すでに明治10年代には,「勉強立身」(学問に刻苦勉励して身を立てることの意)に燃える受験生の姿が見える。明治30年代にもなれば,世は「受験時代」,激化した旧制高等学校の入学試験を前に,多くの若者が青春を勉強に捧げた。そこには独特の精神文化があった。努力と勤勉を基調とする受験準備世界の住人たちは,快楽の「誘惑」や「耽溺」を「堕落」への道と恐れた。その逆の極には,勉強の末に「倦怠」「憂鬱」そして「神経衰弱」に至る危険が口を開けていた。いかにも胡散臭い神経衰弱治療薬・治療法にすがって勉強する彼らの青春は悲壮でさえある(竹内,2015)。
受験を突破して社会移動を求める青少年の姿は,敗戦を挟んで戦後日本社会にも連続している。ただし,戦後の受験競争は大衆的な現象だった。高度経済成長期,新制高等学校への進学率は上昇を続け,1970年代後半に早くも現在と同水準に至った。高校進学=受験の大衆化は勉強の大衆化でもある。そして青少年の努力と勤勉は,欧米先進諸国に追いつき追い越さんとする国民的規模の刻苦勉励と相似形をなしている。実際,受験生が頭に詰め込んだ知識の大半は西洋近代由来であったから,勉強は後発近代国家日本におけるキャッチアップ(追いつき)型近代化のひとつの表現にほかならない。
だがそんな社会のあり様は,1980年代に入って変化する。苅谷剛彦によれば,日本の追いつき型近代化は大平正芳の政策研究会(1978~1980年),そして中曽根康弘が設置した臨時教育審議会(1984~87年)で終焉を宣言された。高度経済成長期を経て物質的豊かさを獲得したこの時期,日本社会は,自らが欧米社会にキャッチアップしたことを自覚した。それは西洋近代というモデルの喪失であり,ゆえに日本の近代の終焉でもある。西洋の劣位にある日本というトラウマは解除された。モデル無き時代の日本が必要とするのは,自ら進むべき進路を探りながら進む「主体性」である。臨時教育審議会曰く,「これからの社会」では,「自分で考え,創造し,表現する能力」が必要となる。そうした新しいポスト・キャッチアップ時代の発想は,「変化の激しい社会」に「主体的に対応し行動できる」能力や資質の育成という形で,1990年代以降の教育課程政策の基本モチーフとなって現在に至っている(苅谷,2019)。
そんな追いつき型近代のその後を,ここでは後期近代と呼んでおく(ギデンズ,2021)。「再帰性」(自己と社会の永続的な更新プロセス)を特徴とするこの時代は,確固たるモデルを喪失し絶え間ない変化への対応を強調する1980年代以降の日本の社会(と教育)のあり様を表現するのにぴったりである。そして重要なのは,勉強―「追いつき型近代化」のもとでの西洋由来の知識の詰め込み―に代わる人間形成の望ましいあり様が,この後期近代の到来に随伴してきたということ,これである。

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