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I はじめに
村瀬嘉代子先生が亡くなられた知らせをいただいてから早くも3カ月が過ぎようとしている。先生の功績についてはあえて記すまでもなく,幅広く深く膨大で,我が国における心理臨床実践を静かに確実に,精力的に推し進めてこられた。
筆者はこの3月,明治村に移築されたFrank Lloyd Wright設計による旧帝国ホテルライト館正面玄関棟を見学する機会に恵まれた。そこに一歩足を踏み入れると,細部に至るまで日本文化を活かした空間や自然光を活かす意匠・設計を体感することができる。それは外光と照明の絶妙な調和であり,木漏れ日を再現するために一枚一枚細かくカットされた銅板の庇であり,浮世絵の版木を彷彿とさせる大谷石の柱や壁面の彫りであり,一つひとつデザインされた家具であり,全てのものから設計者Wrightの息遣いが伝わってくるような体験であった。筆者の経験した先生のお仕事を思い起こすとき,正にこのWright設計の旧帝国ホテル内で経験した圧倒される感覚と重なる体感が身を包み込む。Wrightが大事にしたものは人の生活と自然が調和する「有機的建築」だと言われているが,先生のお仕事である統合的心理療法に一貫して通底しているものと同じものを感じる(村瀬,2023)。一人ひとりの生活を基盤にして大切にしながらも,固定観念にとらわれず大胆に臨機応変に社会経済的な文脈の中で理解し,演繹的というより帰納的に理解し行動する。さらに,それは知識や緻密な思索に裏打ちされてもいる。このような離れ業を維持している体力気力は尋常ではなく,先生はあるとき「もう身体はボロボロよ。都内の有名と言われる鍼,整体はほとんど行ったわね」と笑いながらおっしゃっていたが,その身が燃え尽きるまで全力疾走されてきたように思う。
筆者はかつて先生の御著書に関する書評の中で,ノーベル生理医学賞を受賞されたKarikó Katalin氏がTVのインタビューで「研究は生涯続けますか?」と問われ,「科学者はロックミュージシャンみたいなものです。いつまでもパフォーマンスしてある日死んで終わる。リタイヤはしません」と笑顔で答えていたことを引用して,「評者は勝手に『そうか,著者はあるタイプの臨床家から見るとロックな臨床家なのだ』と,勝手に合点してしまった」とKarikó氏の語った文脈とは異なるものの,「ロックな臨床家」に焦点を当てて述べたことがある(平岡,2024)。先生は亡くなる直前までお仕事をされていたと伺い,まさにロッカーだったとの思いを強くした。以下,筆者が先生から学ばせていただき,自分の中に少しは根付き,育ってきたと思われる事柄について,複数の事例から創作した架空事例を挙げながら述べてみたい。

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