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I 性暴力を性暴力と認識できない社会
性暴力の被害に関する研究をしていて,「自分の受けた性暴力を,性暴力だと認識できない」という状態があることに気がついた。研究のインタビューに協力くださった,子どもの頃に知り合いから継続的な性暴力/性虐待を受けていた人が,そのことは性暴力/性虐待だと認識できなかったが,大学生のときに教員から受けたセクシュアル・ハラスメントについては,被害だと認識できたと語っていた。
その方は,「セクハラのなんかこうなんか定義じゃないけど,(事前に知識が)あったので,私もそのインターネットでセクハラを調べて,どう考えてもセクハラだわって(思った)。だからやっぱり(相談など)動きやすかった」(大竹・齋藤,2020)と言い,知識があり,それをセクシュアル・ハラスメントだと認識できたことで,助けを求めることもできたと語っていた。
子どもの頃の性暴力/性虐待については,子どもであったことや加害者からの無言の強制など,その方が経験していた性暴力そのものがもつ,それを暴力だと認識させない構造があったとも思う。しかし,自分の身に起きていることが被害だと気がつかなかったという方は,インタビュー協力者のなかに,幾人もいた。ほかにもさまざまな被害で,その現象は生じていた。そこから私と共同研究者たちは,社会のなかで,何が性暴力なのかが広く知られていなかったことが,その方が長く性暴力を受け続けることになった要因であり,助けを求めて動くことが難しかった要因のひとつだったのではないかと考えた。もしも,書籍やインターネットに,あるいは学校の教育のなかに,性暴力についての情報があったならば,この方はもっと早くに,誰かに相談することができたかもしれない。
振り返ってみると,自分や自分の周囲でも同じ現象は起きていた。高校生の頃に通学で使っていた電車は,曜日や時間によっては乗客がほとんどおらず,うたたねをしてしまうと,目が覚めたときに知らない男性に足を触られていることがあった。あるいは,目が覚めたとき,向かいの席で男性が自慰行為をしていたこともあった。私は人の少ない電車では眠ることがなくなった。大学生になり満員電車に長い時間乗るようになると,いわゆる「痴漢」は日常茶飯事だった。混んでいる電車に乗らずに済むように,朝は6時に家を出て,大学には1限開始より1時間以上,早く到着するようにしていた。

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