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I 「あたかも時が止まる」ということ
「生きているのが怖い。早く自分を消してしまいたい」
これは,常に自殺願望を抱えている50代半ばの女性の言葉である。私は月に数回ではあるが,複数の福祉施設で障がいがある人や家族を支援する援助の輪の中で心理的援助を担当している。具体的に何をしているかといえば,援助を受ける人が抱えている日々の困難あるいは楽しみなどを面談の中で聴かせてもらい,どのような人生を生きたいと思っているのかを,医療や福祉,地域の人々といったその人を取り巻く援助の輪に繋いでいくことが私の役割になっている。
彼女は若い頃に統合失調症と診断されていたが,年齢とともに診断名も変わり,今は感情がコントロールできないときの頓服が処方されているだけでこれといった投薬治療は行われていないという話だった。彼女によると,頓服もお守りのようにもっているだけで,それを服薬するということもないらしい。しかし,彼女は常に追い詰められていると語り,「ギリギリを生きている」という。私は彼女の「生きていることが怖い」という言葉にひっかかっていた。面談の中で語る「生きることへの恐怖」「自分を消してしまいたいという思い」はどこからきているのだろうか。主治医は,その理由を幼い頃から継続的に受けてきた虐待という外傷的体験がひとつの原因だと説明したという。医学的にみると彼女は虐待という体験によって,脳の機能が何かしらうまく働かず,PTSDというような症状を生じさせているといえるのかもしれない。また,中井(2006, p.26)によると,統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されることも少なくないらしい。
彼女との面談は3年を超えるものになった。最初の頃は必ず面談のはじめに「生きているのが怖い」「消えたい」という言葉とともに自分の幼少期に受けた「傷」について語っていたが,徐々にその内容が現在起こっている出来事の中で生じている「傷」との間を行ったり来たりするようになっていた。かつて,親を求めながら突き放され,何かあれば酷い暴力や叱責を受ける,そういう環境の中で育ってきたという語りは,現在の他者との関係の中で再現されているようだった。もちろん,彼女自身のストレスに対する脆弱性も関係しているのだろうが,まだまだ世の中の理不尽さに抗うことのできない幼い頃に受けた「こころの傷」は,その人の時間を停止させ,何十年生きてきたところで,取り出そうともがけばもがくほどその人の根っこに深く沈み込む。そしてその「傷」は現在の他者との関係の中に再び持ち込まれ,その人を苦しめるものになっている。彼女は,現在の苦しさはその当時の体験にあると思い込んでいるのだ。
しかし,しだいに面談の中で,日々の暮らしの中で起こった楽しいことや将来への展望も語ってくれるようになった。それでも,精神状態が不安定になったときには,繰り返し,繰り返し,幼い頃の自分に時を巻き戻す。「あいつら(親)が私をこんなに苦しませる」「今,苦しんでいるのはあいつらのせいだ」と。私は彼女の語りを聴きながら,幼い頃に受け入れがたい外傷的な体験があったとしても,彼女の大切な人生の一部にそれを統合し,彼女の人生を支える新たな意味が付与されないかと願っているが,それはそれほど簡単なことではないのだろう。

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