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私の小さい子供部屋の壁に,可憐な花のモチーフに添えて「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」と書かれた額が飾ってあった。なぜそれがそこにどういう理由で飾ってあったかは,いまだ不明である。幼い私に対する両親からの何らかのメッセージだとも思えないが,とにかくずっとそこにあった。小さいころ私自らがピアノを習いたいとわがままを言って,何年も言い続けてようやくピアノを買ってもらった。それなのに真面目に練習することが嫌いで,夏は暑くて汗で指が滑る,冬は寒くて指がかじかむだの言って,ちょっとだけ弾いてはすぐにさぼった。さぼりつつ頭上にある額の「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」を見て,「よし!」と思っていた。何に対して「よし!」と思ったのかは,いまだ不明である。「そんなに練習しないなら嫌いなのだろうから辞めなさい」と何度も言われながら,その都度ちょっとだけ好きで頑張っている前向きな姿勢をとりつつ,でも確実にサボりながら長年ずっと続けていた。そうやって少しずつ練習を続けていくうちに,「この作曲家のやわらかくて明るい旋律が好きだ」などと思いながら下手の横好きで楽しく過ごしていた。この稿を書くにあたって,ふと思い至ってあの額の言葉が気になりChatGPTに聞いてみたところ,瞬時に答えをくれた。これは武者小路実篤の言葉で,「天与の花を咲かす喜び 共に咲く喜び 人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」が全文で,「人それぞれに与えられたその人自身の力を,喜んで開花させること」「他者と協力し合って共に花開く喜び」を,他人に評価されようとも,されなくても,ただ自分らしく,ひたむきに生きることの素晴らしさを表している,とのこと。半世紀ほど生きてみると先達の含蓄のある言葉の意味を理解できる年齢になり,この言葉の意味がようやく腑に落ちた。私はなぜか練習は嫌いだけれどピアノは好きで,いつもこの言葉に引き寄せられて,少しずつ続けていたのだと思う。
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