私論
徒然なるままに,大きな整形外科医局の医局長という仕事
中島 宏彰
1
1名古屋大学整形外科准教授
pp.888-888
発行日 2025年8月1日
Published Date 2025/8/1
DOI https://doi.org/10.15106/j_seikei76_888
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医局制度は日本特有の制度で,海外での同義語はない.明治時代の日本はドイツを手本に西洋の医療を導入したが,西欧では中世からの修道院などでの施療を背景に,公立の医療機関を中心として医療が展開されてきた国々とは医療を取り巻く環境の歴史が異なる.日本では,江戸時代以降の自由開業医制度が引き継がれ,多くの開業医が存在する「民間中心」の医療展開が特徴といえる.民間中心の医療に上書きされる形で,医局制度が形作られ,日本特有の医療環境を作ってきた.明治初期に政府は大学での研究を中心としたドイツ式医学教育を推進し,西洋医学を普及させるため,大学とは別の養成過程を設けて医師数を確保する必要があった.1874(明治7)年に「医制」を制定し,医学校に関する規定を作り、医学専門学校の設立が推進され,1890年代になると公立病院のポスト不足から,帝国大学卒の医師でも卒後すぐに開業する人が増えてきた.1920年代には,大卒の医師は卒後ある程度の年数,大学医局に所属して勤務医を続け,その後に開業するというパターンが一般化した.名古屋大学整形外科が開講した1927年は,このような時代背景の1920年代であった.
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