--------------------
医局解体
守屋 博
1
1国立東京第一病院管理部
pp.2-4
発行日 1954年6月1日
Published Date 1954/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200819
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
経済社会には法人と云うものがあつて,多数の人又は財産が個人と同じ様な経済活動をする事がある。医療に於てもそれに似た様な人格を認ねばならぬことがある。
一人の医師が単身一人の患者に医療を行つていた様な原始医療に於ては,医師一患者関係は一番完全である。患者は常に,自分の信頼する医師を選ぶ事が出来る。所が医療が段々進歩してくると,色々と,複雑大型の機械を必要としてくる。又それらの機械を動かす為に多数の共同者を必要として来る。この様な大道具になつて来ると,一人の医師が診療出来る様な患者数で利用したのでは経済的につりあわぬから,多数の助手医を用意して,一人で診る何倍か何十倍かの患者をこなさねばならぬことになつて来る。この場合,これらの医師は,個人所有の設備を利用さしてもらうのだから所有者の意のままに動く医師である必要がある。つまり一人前の医師としての人格を認められぬ多数の医師がいると云うことになる。これ等の医師の診断治療についての責任は常に,一人の親方についているから,廻診と云う形で,監督命令されるのである。多数の未熟医師の共同作業を得られて,多数の患者の診療が行われるから,親方が一人で診療するのに比べて,医療原価の内医師労務費が廉くあがる。しかし,親方一人で,凡ての患者の主治医的責任が果せる時はよいが多数の医局員のいる時は,責任は分散されて,一週一度の親方の廻診では,主治医的能力は非常に稀薄になる。
Copyright © 1954, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.