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は じ め に
関節鏡は本邦で開発,発展を遂げた有用な検査技術である.内視鏡は皮膚を大きく切開せずに体内の観察を可能とするため,外科医の熱意によって開発がすすんだ.まず,1886年にドイツのLeiterとNitzeによって設計された白熱電球付き膀胱鏡によりはじめて膀胱の観察が実施された.その後,1910年にスウェーデンの医師Jacobaeusによって改良され,腹腔内,胸腔内の観察が可能となった1).
膝関節においては,1912年のThe 41th Congress of the German Society of Surgeons in Berlinにおいてデンマークの外科医Nordentoftにより自身で開発した5mmの「trocart-endoscope」を報告したことが明らかになっている.これはJacobaeusの内視鏡を膝関節用に改良したものであり,「arthroscopy(関節鏡)」という用語をはじめて使用したことが近年明らかになっている.一方,関節鏡の草分け的研究としてはスイスのBircher,米国のBurmanらの報告があるが,いずれも1930年代にその使用を断念している1).
本邦においては,東京大学の高木憲次先生が1918年に膀胱鏡を用いて屍体膝関節の鏡視を行い,1931年には高木No. 1関節鏡(径3.5mm)を開発している. “教授のおもちゃ” として当時は冷ややかな目でみられていたといわれる関節鏡は,その後,関節鏡の父といわれる渡辺正毅先生により21号関節鏡が開発され,関節鏡の臨床応用がすすんだ.北米からのフェローであった,Jacksonらによりさらなる開発と発展につながり,関節鏡は世界中に広まり現在にいたる.その後,渡辺先生と栗若良臣先生は「関節を切り開くことは,建築学的な構造を持つ関節包を損傷することで,できるだけ避けたいこと」とその著書2)で強調しており,新たな関節鏡の開発とその応用に対する並々ならぬ情熱を感じることができる.
しかし,それ以降,画質の向上などの改善はみられるが,関節鏡そのものの大きな変革は起こっていない.渡辺先生は「関節鏡の発展は工業技術,映像技術の発展と共にある」としている3).近年のさまざまな技術革新に比べ医療機器である関節鏡の発展は停滞していると感じていた状況であった.

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