喫茶ロビー
古地図に想う
中村 孝志
1
1京都大学名誉教授
pp.73-73
発行日 2018年1月1日
Published Date 2018/1/1
DOI https://doi.org/10.15106/j_seikei69_73
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- 文献概要
京都大学の広報誌に『紅萠』がある.年一回の発刊で,2017年号が手元に届いた.平成8年(1996年)と明治22年(1889年)の大学周囲の地図を並べたものが表紙を飾っている(図1).今回は教養・共通科目が特集されているが,その中で最初に取り上げられているのが地域地理学,「地図に残された歴史の後をさぐる」というもので,この関連で古地図と現代の地図が並べてあるようである.
解説をみると,明治の地図には吉田神社や百萬遍の知恩院,京都大学北部キャンパスにのこっている後二條天皇陵などが記載されているが,現代地図に載っている京都大学とその周囲の建物は,その年に移転してきた第三高等学校の建物が少しみられるだけで,吉田山から鴨川まで田畑が連なった農村である.京都大学の横を通る東大路通や今出川通がない.東大路通と今出川通は大正の都市開発で作られたものであり,だから明治の地図には載っていないとのことである.鴨川の西側は,東の農村とは対照的に建物が密集している.現代の京都大学周囲と同じように建物が建っているのがわかるという.京都大学医学部ができたのは1899年であり,明治の地図にはない.一方,荒神橋の西に病院らしき建物がある.これは京都府立医科大学で,大学としては1881年にできているので1889年の地図ですでに医科大学となっていたわけである.
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