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そのとき私はがん看護専門看護師を目指すことを決めた
看護師には自分にとって思いの深い患者さんが何人かいると思う.私の場合は学生のとき,看護実習で初めて出会った患者さんのことがいつも思い出される.当時はがん告知をめぐって患者さんにはわるい知らせは伝えないということが主流であった.そのときに抱いた疑問は解決できず,最初の臨床として,自ずとがん専門病院を選んだ.しかしながら当時の手術同意書には,「一切の不服申し立てをしない」旨の文言があり,それに患者さんの署名を求めなければならない現状に愕然とした.また,家族との関係が修復できないまま,孤独な入院生活を送る壮年期の患者さんとの対話の継続について,病棟の看護研究として取り組んだなかで,がん患者の意思決定やターミナルケアへの関心が高まり,新たな知識を求めて大学院への進学を決めた.
インフォームドコンセントという言葉が台頭してきたのは1980年代後半である.私の進学時期は,まさにがん医療の転換期にあたり,がん告知を受けた患者の心理的サポートが必須となった.また,がんの専門的治療が終わった後の療養生活を支える在宅ケアシステムの不足に直面したため,大学院修了後はすぐに臨床に戻るのではなく,在宅医療の開発に身を置いた.さらに看護教育の経験を積んで,再び臨床に戻る決意を固めた.
がん看護のCNS活動に結びついたきっかけは,横浜市衛生局のターミナルケア看護講習会の講師をしたことである.市立病院では専門看護師の導入を始めており,がん看護専門看護師(Certified Nurse Specialist:CNS)のニーズ調査を行うことになった.がん看護CNSの機能や役割を調べ,先行して活動していたがん看護CNSに連絡を取り,具体的な活動準備を整えた.
実際には,専門看護師が日本の看護界に定着するか否かという大きな壁があり,「途中でやめたら,日本の専門看護師制度がなくなる」という危機感のなかで,土壌を耕し,種をまき,自分自身が芽を出すことに本気で取り組むことを問われたと思う.第一期のがん看護CNSの先輩がたに続いて「私たちが日本の専門看護師モデルを創る」という覚悟をもって,CNS活動に挑むことになった.
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