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「最期まで排泄だけは人の世話にはなりたくない」とは,だれもが切実に望むことである.しかし,現実には加齢や障害などによって,おむつや人の手を借りて排泄をせざるを得ない高齢者は少なくはない.一方で,高齢者の生活を支える役割を今後,担ってもらいたい看護学生は,できれば排泄の援助はしたくないと感じているのだ,と思い知らされることがある.最近の若い人だからではなく,筆者自身も看護学生だったころ,そうであったのかもしれない.排泄ケア=老年看護ではないのだが,学生の言動から次世代の看護を担う人たちは,老年看護をどのようにとらえているのだろうと一抹の不安を感じる.
以前,老年看護学実習を終えた学生が,「もともと小児看護に興味があったし,最初に受け持ち患者さんにおむつ交換が必要だと知ったときには,正直,いやだなと思いました.でも,実習の後半には,おむつ交換のときに,患者さんのお尻に顔を近づけて,拭き残しがないか必死に観察している自分がいました」と話してくれたことがあった.やはり,おむつ交換には抵抗を感じていたのだと思う反面,学生が自身の変化に少し驚きながらも,引き続き老年看護のやりがいを語ってくれたことが非常に印象に残っている.なぜこの学生は,3週間という短い期間でこのように変化したのだろうか.学生の受け持ち患者は,もともとアルツハイマー型認知症があり,脳血管障害のために入院していた.実習を開始した当初は,いわゆる不穏・興奮・攻撃性といわれる言動がみられ,学生はどう関わるとよいのか困惑していた.そのようななかで,患者が断片的に話してくれるこれまでの人生と,興奮して訴えている「買い物に行きたい」「トイレに行きたい」「制約ばかりされる」「嘘をつく」という言葉の真意がつながったと感じたそうである.その人が大事にしていること・こだわりを大切にしたい,その人の聴く力・理解する力を生かしたケアがしたいと考え,本人の希望を聴きながら学生の意見やそのときの状況をていねいに伝えることで,患者の望みを納得のいく形で実現することができた.そして,患者から絶大な信頼を得るとともに,別人のように落ち着きを取り戻した患者の様子から,その人本来の姿を知ることができた.自分の実践した看護で高齢者が変化していく経験が,学生自身の老年看護に臨む積極的な態度を形成したと思われる.学生の気づきを促し,学生の意見を尊重して実習をサポートしていただいた現場の指導者の方々には感謝しかない.高齢者ケアの現場では,多くの困難な状況に出くわす.このような経験を重ねることで,高齢者と高齢者に関わる自分自身の可能性を信じることができれば,困難を乗り越え老年看護のおもしろさを感じることができるのではないかと考える.
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