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1.はじめに
17年前に私は、現在に勤務先の前身、名古屋市立大学看護短期大学部に勤めることになりました。しかし当時はまるで看護に関心を持ってはいませんでした。看護に関心を持つようになったのは、故・山田重子先生から勧められて、中木高夫さんの『POSをナース』を読んだ加藤昭二先生(現・名古屋市立大学名誉教授)から、同書を薦められて読んだのがひとつの契機でした。(山田重子先生は短期大学部をほとんど独力で作り上げ、しかもあえて短大に残ろうとなさらず、非常勤などをしながらも、その後も絶えず新しい看護の勉強をつづけていらっしゃいました。優れた臨床家としての看護師という時、私がそのモデルの一人として思い浮かべるのは、山田先生の凛とした姿です。心からご冥福をお祈りします)。
もう一つのきっかけとなったのは、当時の成人看護学の担当の(現在は純心女子大学看護栄養学部長)貝山桂子先生に誘われて、ターミナル・ケアの研究会を一緒に学内で始めたことでした。貝山先生はいつものようにちょっといたずらっぽい表情を浮かべながら、私を看護の世界に導いてくださったように記憶しています。
そのターミナル・ケアの研究会で最初に読んだのが、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』でした。当時は川口正吉訳しかなく、これはかなり省略があったため、しかたなく、原書を傍らにレポーターを何度かこなしたことを覚えています(幸い、現在では鈴木晶氏のすぐれた訳が文庫で入手できます)。
もともと私はマックス・ヴェーバーの宗教社会学を研究していました。ヴェーバーは、自分の病気による社会的転落をきっかけにして、宗教を病いや死の意味づけから発展した意味の体系として考察するようになりました。その意味で、いまから振り返ってみれば死の問題を考えるターミナル・ケアとそれまでの私の研究は連続するものでした。でも当時はそんなことはまるで自覚はしていませんでした。
私は、そうした形で看護に関わるようになってさらに『はじめての看護理論』(初版:日総研出版、第2版がまもなく医学書院から出版)を書いて、いままでずるずると看護に関わることになりました。
当時から、私は『死ぬ瞬間』という本のおもしろさの中心は、この本におさめられたインタビューにあると思っていました。名古屋市立大学の人文社会学部の野村直樹先生を招いて「ナラティヴ研究会」を主催してナラティヴ・セラピーについて勉強するようになって、その思いはより強くなりました。そこで本稿では、ナラティヴ・セラピーの観点から振り返ってキューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』を再読してみたいと思います。まず、トラベルビー看護論の提起したものを継承・展開するものとして、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』を位置づけたうえで、同書をナラティヴ・セラピーの先駆として位置づけることを試みたいと思います。
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