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私は個人的に看護婦さん(親しみを込めてあえてこう呼ぶ)が好きだ。祖父が産婦人科の医院をしていたこともあり、小さい頃から看護婦さんと触れ合う機会は多く、多種多様な看護婦さんを見てきた。その中でも一番印象に残っている看護婦さんは、危険だと言われても最後までラジウムを手づかみし続けた看護婦さんである。初めて見た時は指が6本しかなく、亡くなる時は1本になっていた。指の少ない看護婦さんの手にひかれて散歩をした時、とても感動したのを覚えている。その方からは、何か超人的なものを感じた。
また7〜8年前、雑誌の依頼がきっかけで「一日ナース」を経験したことがある。伝達事項、入浴、ベッドの作り方など様々なことを体験し、その過程で医療現場を見て、今の病院では「技術」というものが専制君主になっており、いわば「王様」のようになっているように感じられた。しかし実際患者さんの命というものは、「技術」とはちょっと違うのではないか、「技術」を握っている医者と看護師を見て、非常に不均衡に歪んだ発達をとげているという実感があった。そこで「医学」と「技術」と「看護師」とは、いったいどのような関係にあるのだろうかと考えた。「技術」とは「テクノロジー」のことで、もともとギリシヤ語では「テクネ」という。「テクネ」というのは隠れているものを表に出す、見えなかったものを見えるようにするという意味で、隠れている真理を表に出すといったように真理に関わっている。またもうひとつの意味に「ポイエシス」というのがあり、これも心理に関わっている。「テクネ」と「ポイエシス」は非常によく似ており、ギリシャではこの二つが合わさって「技術」という意味をなしている。しかし細かく言えば、「テクネ」とは相手に無理矢理刺激を与えたり、挑発することによって隠れているものを外に出すことで、「ポイエシス」は、植物の中に隠れている芽が外に出て花を咲かす、といったように環境を整える、という意味がある。両方とも隠れているものを表に出す、という点では同じであるが、やり方が違うのである。本来ならばこの二つが合体して人間があるべき「技術」である。しかし近代社会では「テクネ」ばかりが肥大化してきており、「ポイエシス」は周辺的な作業になってきている。
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